絵画から響く音と立ち昇る香り:視覚を超えて感応する鑑賞法
視覚を超えた感覚で作品を味わう
美術作品の鑑賞は、まず視覚から入ることが一般的です。色彩や形、構図といった目に見える要素を通して作品を理解し、その背景にある歴史や文脈を知ることは、作品への理解を深める上で不可欠な側面です。しかし、作品は単なる視覚的な情報以上のものを内包している場合があります。描かれた情景やモチーフは、時に私たちの内に眠る様々な感覚や感情を呼び覚まします。
本記事では、絵画鑑賞において、視覚情報から一歩進んで、作品から「響いてくる音」や「立ち昇ってくる香り」といった、視覚以外の感覚に意識を向ける鑑賞法をご紹介します。これにより、作品世界をより豊かに、多角的に感じ取ることができるようになります。
作品が喚起する音と香りのイメージ
絵画に描かれた世界は静止していますが、私たちの想像力は、そこに音や香りを加え、作品に新たな奥行きをもたらすことができます。
画面から響く音響的イメージ
描かれた情景は、特定の音響的イメージを喚起することがあります。
- 水の描写: 滝壺の轟音、小川のせせらぎ、雨粒が水面に落ちる音、静寂な湖面の静けさなど、水の描写は多様な音の感覚を呼び起こします。荒れ狂う波濤からは強いエネルギーや恐怖を、穏やかな水面からは静寂や平和を感じ取るかもしれません。
- 自然風景: 風が木々を揺らすざわめき、鳥のさえずり、昆虫の羽音、遠雷の響きなど、自然の音は季節や時間の流れ、あるいはその場の空気感を伝えます。草原に吹く風からは広がりや解放感を、鬱蒼とした森の描写からは神秘や畏怖を感じることがあります。
- 人物や街の情景: 人々の話し声、市場の喧騒、楽器の演奏、鐘の音など、人間活動の音は活気や孤独、文化的な背景を示唆します。描かれた人々の表情や動きと合わせて、どのような音が聞こえてきそうか想像することで、そこに流れる時間や感情をより深く感じ取ることができます。
また、絵画の筆致やマチエール(絵具の質感)そのものが、視覚的なリズムとして音の響きを連想させることもあります。例えば、力強い筆運びからは打楽器のような響きを、滑らかなグラデーションからは弦楽器のような連続した音色を想像するなど、抽象的な感覚と結びつけることも可能です。
画面に立ち昇る香りのイメージ
描かれたモチーフや色彩は、香りの記憶やイメージを呼び起こすことがあります。
- 植物や風景: 鮮やかな花々の絵からは甘く豊かな香りを、松林の風景からは清涼感のある香りを、収穫の場面からは土や草の匂い、あるいは実りの香りを想像します。これらの香りは、特定の季節や場所の感覚、あるいはその場の雰囲気や感情と結びつくことがあります。
- 室内や生活の情景: 暖炉の煙の匂い、焼き立てのパンの香り、古い書物の匂い、特定の料理の匂いなど、生活空間にまつわる香りは、安らぎや懐かしさ、あるいはその場の温度や湿度といった身体的な感覚を伴って感じられることがあります。
- 色彩との関連: 特定の色が、特定の香りのイメージと結びつく場合もあります。例えば、明るい黄色やオレンジからは柑橘類や太陽のような香りを、深い青や緑からは水や森のような清涼な香りを連想するなど、色彩と香りの間には個人的な感覚的な繋がりが存在しえます。
これらの香りのイメージは、作品に描かれた視覚情報と相互に作用し、鑑賞者の感情や記憶を刺激します。過去の経験と結びつくことで、作品世界への没入感が深まることがあります。
鑑賞を深めるための視点
作品の前で、視覚情報だけでなく、聴覚や嗅覚といった他の感覚に意識を向けてみましょう。自身に問いかけてみることも有効です。
- この画面から、あなたはどのような「音」を連想しますか? それは穏やかな音ですか、それとも激しい音ですか? 特定の楽器の音や、自然の音を思い浮かべますか?
- もし、この画面の中に立っているとしたら、どのような「香り」がするでしょうか? それは甘い香りですか、湿った匂いですか、あるいは何かの食べ物の匂いですか?
- 描かれた光や影、色彩や筆致は、どのような音や香りのイメージと結びつきますか?
- この音響的イメージや香りのイメージは、画面に描かれた情景や人物の感情とどのように響き合っていますか?
- 作品全体から感じられる雰囲気や感情は、どのような音や香りに例えることができますか?
これらの問いかけは、正解を求めるものではありません。自身の内側から自然に湧き上がってくる感覚や連想を大切にしてください。
まとめ:感覚を開放し、作品と共鳴する
絵画鑑賞において、視覚情報だけでなく、音や香りのイメージといった視覚以外の感覚に意識を向けることは、作品世界をより豊かに、立体的に捉えるための一つの方法です。描かれた情景から喚起される音響的イメージや香りの記憶は、単なる知識や分析だけでは捉えきれない、作品の持つ雰囲気や感情、エネルギーを身体的に感じ取る手助けとなります。
自身の感覚を開放し、作品が語りかけてくる多様な情報に心を開くことで、作品との間に新たな繋がりが生まれる可能性があります。次回の鑑賞の際には、ぜひ視覚に加え、聞こえてきそうな音、漂ってきそうな香りに意識を傾けてみてください。そこから、これまで気づかなかった作品の魅力や、自身の内面の響きが発見されるかもしれません。